握り鮨の歴史|江戸の屋台から冷蔵技術、海外への広がりと逆輸入まで

この記事を書いているのは、赤坂の鮨店「奥赤坂 鮨 淡師」です。お品書きを見る →

The Tokyo Sushi Guide の特集 監修|髙田 達央(奥赤坂 鮨 淡師 店主) 更新 読了 約6分

握り鮨の歴史は、江戸後期の屋台で生まれた立ち食いの軽食から始まります。冷蔵庫のない時代の保存の工夫、戦後の冷蔵技術、海外への広がり、そしてサーモンのような逆輸入まで、約二百年の流れを順にたどります。

結論から

握り鮨は1820年代ごろ、江戸の屋台で生まれた今の二倍ほどの大きさの軽食です。冷蔵のない時代に締め・漬け・煮の仕事が発達し、戦後の冷蔵技術で生の魚やトロが主役になりました。海外に広まったのち、サーモン握りなどが日本へ逆輸入されています。

この記事でわかること

  • 文政年間の屋台で握り鮨が生まれた背景と、当時の大きさ
  • 締め・漬け・煮が冷蔵のない時代の保存の知恵だった理由
  • 冷蔵・冷凍の技術と流通がトロの評価を変えた経緯
  • カリフォルニアロールと回転寿司が鮨を広めた道筋
  • サーモン握りに見る逆輸入の実例
  • 熟成という考え方が江戸前の仕事とどうつながるか
目次

屋台で生まれた、二口でつまむ軽食

握り鮨が形になったのは江戸後期、文政年間(1820年代)ごろとされます。考案者としてよく名が挙がるのは両国の華屋与兵衛です。ただ、同じ時期に複数の職人が似た工夫をしていたとも言われ、ひとりの発明と言い切れるものではありません。

それ以前の鮨は、魚と飯を重ねて時間をかけて馴染ませる押し鮨や、発酵させるなれずしが中心でした。酢飯に魚をのせてその場で握る方法は、待たずに食べられる点で、気の短い江戸の町に合っていたようです。屋台の握りは今の二倍から三倍ほどの大きさだったと伝わり、仕事帰りの職人が立ったまま、二口三口でつまむ食べ物でした。

冷蔵庫のない時代の「仕事」

江戸の屋台には冷蔵庫がありません。生の魚を長く置けない事情から、ネタに手を加える技法が発達しました。これが今も江戸前の仕事と呼ばれるものです。

  1. 締めるコハダや鯖を塩と酢で締め、身を落ち着かせる。
  2. 漬けるマグロの赤身を醤油に漬け、味をなじませる。
  3. 煮る穴子や蛤を煮て、煮詰めを塗って供する。

どれも保存の工夫として始まり、やがて味を深めるための技として磨かれていきました。九月のカウンターでは、夏の新子から育ったコハダの酢締めに、その名残をはっきりと感じられます。

肝心なところ: 江戸前の締め・漬け・煮は、冷蔵のない時代の保存の知恵が、味をつくる技術へと育ったものです。

冷蔵技術が変えた、鮨だねの顔ぶれ

明治以降に製氷が広まり、氷で冷やす冷蔵庫が鮨屋にも入ると、生のまま扱える魚が少しずつ増えていきました。戦後、電気冷蔵庫や冷凍の技術、産地から市場へ魚を冷やしたまま運ぶ流通が整うと、その流れは決定的になります。

脂の多いトロが高く評価されるようになったのも、この時代からです。江戸のころは傷みやすく、あまり好まれなかったと言われます。冷やして運べるようになって、ようやく脂の甘さが生かされるようになりました。

屋台そのものは、戦中から戦後にかけての衛生上の規制などを経て、屋内の店へと移っていきました。立って食べた屋台の名残は、いまのつけ台と、職人と向き合う近さに残っています。

海を渡った握り

握りが海外で知られるようになった大きなきっかけは、1960年代のアメリカ西海岸とされます。ロサンゼルスの日本料理店で、海苔を内側に巻き、アボカドを使ったカリフォルニアロールが生まれました。生魚になじみのない人にも、鮨の入口ができたのです。

国内では1958年に大阪で回転寿司が始まり、鮨はカウンターの特別な食べ物から、家族で気軽に行く外食へと広がりました。世界各地に鮨店が増えたのは、こうした裾野の広がりと、冷凍マグロの流通が重なった結果でもあります。

日本に戻ってきたもの

海外で育ったものが日本へ戻ってきた例もあります。代表がサーモンの握りです。日本では長く、鮭は生で食べる魚ではありませんでした。1980年代にノルウェーが生食向けの養殖サーモンを日本に紹介したことがきっかけとなり、いまでは回転寿司で人気の上位に並ぶネタになっています。

「おまかせ」という言葉も、英語圏でそのまま通じる言葉になりました。職人に一貫ずつ委ねる食べ方は、海外での評価を経て、国内でも改めて注目されています。

時期握りの姿背景
江戸後期(文政ごろ)屋台の大ぶりな握り締め・漬け・煮で魚をもたせる
明治〜昭和初期生の魚が少しずつ増える製氷と氷の冷蔵庫の普及
戦後屋台から屋内の店へ衛生上の規制、冷蔵・冷凍と流通の整備
1950〜60年代回転寿司、カリフォルニアロール国内の大衆化と海外への広がり
1980年代以降サーモン握りが定着ノルウェー産サーモンの紹介

いまのカウンターに残る江戸

冷蔵技術は、江戸前の仕事を不要にしたわけではありません。温度を細かく管理できるようになったことで、締めや漬けに加え、魚を寝かせて旨みを引き出す熟成という考え方が広がりました。保存のための工夫が、おいしさを見極めるための技術へ変わったとも言えます。

奥赤坂の鮨 淡師では、締め・漬け・煮きりといった古典的な仕事に、津本式の技術を取り入れた熟成を合わせています。血抜きや仕立ては目的ではなく手段であり、その魚が一番おいしい瞬間を見極めて出す、という考え方で仕事をしています。

屋台で二口につまんだ一貫と、いまカウンターで供される一貫。大きさも魚の扱いも変わりました。それでも、目の前で握ってすぐ食べるという形は、二百年前から変わっていません。

よくあるご質問

握り寿司を考えたのは誰?

江戸後期の文政年間ごろ、両国の華屋与兵衛が考案者としてよく名を挙げられます。ただ、同じ時期に似た工夫をした職人がほかにもいたとされ、ひとりの発明と断定できるものではありません。

江戸時代の握り寿司はどれくらいの大きさだった?

今の二倍から三倍ほどの大きさだったと伝わります。屋台で立ったまま二口三口でつまむ、小腹を満たす軽食でした。

トロは昔は人気がなかったって本当?

江戸のころは脂の多い部位が傷みやすく、あまり好まれなかったと言われます。戦後に冷蔵・冷凍の技術と流通が整い、脂の甘さを生かせるようになってから評価が高まりました。

サーモンの握りはいつから日本にある?

広まったのは1980年代以降です。ノルウェーが生食向けの養殖サーモンを日本に紹介したことがきっかけとされ、いまでは回転寿司の定番になっています。

カリフォルニアロールはどこで生まれた?

1960年代から70年代にかけて、アメリカ・ロサンゼルスの日本料理店で生まれたとされます。海苔を内側に巻き、アボカドを使うことで、生魚になじみのない人にも食べやすい形にしたものです。

ガイドから、カウンターへ

奥赤坂の八席のカウンターで、味わう。

江戸前の仕事に、ていねいな熟成を。一貫ずつ、その日の最良を握ります。海外のお客様には英語でご案内します。

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カウンターに立つ奥赤坂 鮨 淡師 店主 髙田 達央

監修

江戸前の伝統に学び、九州に根を持つ髙田 達央が、東京・奥赤坂の八席のおまかせカウンターに立ちます。The Tokyo Sushi Guide の監修者です。

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