鮨職人の仕事は、魚を握ることよりも先に、受け取ることから始まります。海で獲った漁師、市場で選んだ仲卸、身を仕立てた人の手を通って、一尾はカウンターに届きます。この記事では、その受け渡しの最後に立つ職人が何を判断しているのかを、締めと熟成、頃合いの見極め、九月の魚、日本酒の順に見ていきます。
結論から
鮨職人の仕事は魚を握ることではなく、漁師から仲卸、仕立て人へと渡ってきた一尾を最後に受け取り、一番おいしい瞬間を見極めて出すことです。締めや熟成はそのための手段であって、目的ではありません。
この記事でわかること
- 一貫が台に届くまでに通る、漁師・仲卸・仕立て人・職人の四つの手
- 血抜きや神経締めが目的ではなく、熟成のための手段である理由
- 白身・赤身・光り物で、頃合いの測り方がどう違うか
- 九月の台に並びはじめる魚と、そこで変わる仕込み
- 日本酒を脇役ではなく、鮨を完成させるものとして扱う考え方
- 味以外の要素が「また来たい」を静かに決めているという見方
一貫の手前に、三つの手がある
一貫の鮨が台に置かれるまでに、少なくとも三つの手を通っています。海で獲る漁師、市場で目利きをする仲卸、魚を締めて仕立てる人。鮨職人はその受け渡しの最後を受け取る立場にあり、自分の仕事はそこから始まると考える職人が多いようです。
- 漁師獲り方と船の上での扱いで、その魚の身質は大きく決まります。
- 仲卸同じ日に並んだ魚のなかから、どの一尾がその仕事に向くかを選び分けます。
- 仕立て人血と余分な水分を抜き、これから置く時間に耐える状態を整えます。
- 鮨職人受け取った一尾を、いつ、どう切りつけて出すかを決めます。
締めと血抜きは、目的ではない
血抜きや神経締めは、鮨の仕事の完成形ではありません。血や余分な水分は時間が経つほど雑味に変わりやすく、それを先に抜いておくことで、はじめて数日という時間を味方にできます。津本式と呼ばれる手当てもこの目的のためのもので、施したこと自体が味を約束するわけではありません。鮨 淡師では、その技術を取り入れながら、魚種ごとに最適な期間と温度を見極めています。
見極めるという仕事
頃合いの判断は、日数の表ではなく魚ごとの見立てです。白身は数日置いて水分が抜けたころに旨味が出やすく、赤身は醤油に漬けて数時間から一日ほどで味の入り方が変わります。一方で光り物は締めの時間が短く、酢の入り方が数十分で動きます。
同じ魚でも、大きさや脂の乗り、その日の気温で頃合いはずれます。だから普段から、切りつけたときの身の締まり具合や包丁の入り方で確かめる職人が多いようです。数字を守ることより、目の前の一尾がどこにいるかを読むほうが仕事の中身に近いと言えます。
九月の台に並ぶもの
九月の台には、夏を越した魚が並びはじめます。夏に新子と呼ばれていた小さなコハダは、この頃には小鰭と呼べる大きさに育ち、塩と酢を当てる時間も長くなります。北から戻る鰹は脂を蓄え、秋刀魚は軽く塩や酢で当ててから握られることがあります。鮭の卵を醤油に漬ける仕込みが始まるのも、この時期です。季節が動けば、同じ魚でも当て方を変えることになります。
日本酒を、脇に置かない
日本酒を、鮨の横に添える飲み物として扱わない考え方があります。酢と塩で締めた一貫と、煮きりを塗った一貫では、寄り添う酒の質感が違います。一貫ごとに酒を寄せていくと、酒よりも鮨のほうが変わって感じられることがあります。淡師の店主は全国の蔵を訪ね、造り手の考えや土地の個性を知ったうえで銘柄を選んでいます。新政や十四代のような手に入りにくい銘柄も、その延長で選ばれたものです。
「おいしかった」の先にあるもの
食事の感想が「おいしかった」で止まるとき、その日の記憶に残るのは味だけになります。実は、カウンターで残るものはそれだけではありません。器の重さ、湯のみの温度、隣の客との距離、話しかけられる間合い。どれも味ではないのに、また来たいかどうかを静かに決めています。最後の一服や甘味までを含めて時間を組み立てる店があるのは、そのためです。
終わりのない仕事として
鮨の技術には、ここまでという線がありません。産地での扱いが変われば熟成の当て方も変わり、蔵が造りを変えれば合わせ方も変わります。だから漁師や仕立て人、蔵元から学び続けることが、そのまま仕事の一部になります。長く握っている人ほど、去年と同じことはしていないと話すものです。鮨職人の仕事が受け渡しの最後だとすれば、渡された側が変わり続けるのは普通のことでもあります。
よくあるご質問
津本式とは何ですか?
魚の血と余分な水分を抜き、傷みの原因になりにくい状態に整える手当ての方法です。血抜きそのものが味を決めるのではなく、そのあとの熟成に耐えられる体をつくるための手段として使われます。処理をしたかどうかより、その魚に合った時間の置き方をしているかどうかが味に出ます。
魚は新鮮なほどおいしいのではないですか?
魚によります。青魚や貝は獲れてすぐの歯ざわりが持ち味になりやすく、白身や赤身は数日置いて水分が抜けたころに旨味を強く感じることが多いようです。江戸前の仕事は、新しさと熟れのどちらが向くかを、魚ごとに選び分けてきました。
カウンターで産地や仕立てのことを聞いてもいいですか?
聞いて構いません。今日の魚がどこのものか、どのくらい置いたものかは、答えやすい質問として受け取られることが多いようです。手が動いている間は返事が短くなることもありますが、気負わなくて大丈夫です。
鮨職人は魚を自分で選んでいるのですか?
店によります。市場に自分で通う職人もいれば、信頼する仲卸に選んでもらう職人もいます。どちらの形でも、届いた一尾をどう仕立て、いつ出すかの判断は職人の仕事です。ひとりで全部を見るのは難しいので、選ぶ人と仕立てる人を分ける形も普段からよくあります。
ガイドから、カウンターへ
奥赤坂の八席のカウンターで、味わう。
江戸前の仕事に、ていねいな熟成を。一貫ずつ、その日の最良を握ります。海外のお客様には英語でご案内します。
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