鮨には淡麗辛口の酒、と聞いたことがある方は多いと思います。間違いではないのですが、その一本だけで白身から中とろまで寄り添うのは、実は難しいことです。この記事では、銘柄の知識を前提にせず、酢飯の酸・タネの脂・香りの強さという三つの原則だけで酒を選ぶ方法をまとめました。読み終える頃には、カウンターで一杯目を頼む言葉が決まっているはずです。
この記事でわかること
- 「鮨には淡麗辛口」という通説が生まれた理由と、その限界
- 酢飯の酸に、生酛や山廃など酸のある酒を寄り添わせる考え方
- 脂の強いタネを受け止める、旨口の純米酒とぬる燗の使い方
- 香りの華やかな酒を「取っておく」場面の見分け方
- 七月のあじ・いわし・すずきで試せる具体的な組み合わせ
- 銘柄を知らなくても気負わずに頼める、カウンターでの言い方
「淡麗辛口なら間違いない」を、少し疑ってみる
「鮨には淡麗辛口」。長く定番とされてきた言い方です。香りも味も控えめな酒なら、どのタネの邪魔もしない。理屈としては通っていますし、選んで間違いというわけでもありません。ただ、カウンターで一貫ずつ食べ進めていくと、どこかで物足りなさを覚える瞬間があります。淡麗辛口は「外さない」選び方であって、「合わせる」選び方ではないからです。
鮨は白身から貝、光り物、まぐろ、煮物まで、一晩のうちに味の幅が大きく動く食事です。実は、その全部にひとつの酒で寄り添うのは難しいことです。そこで、銘柄の知識ではなく、原則を三つだけ覚えておくという方法があります。
原則一: 酢飯の酸には、酸のある酒を
握りの半分は酢飯です。米酢や赤酢の酸味と穏やかな甘みが、すべての一貫の土台になっています。ここに酸の少ない酒を合わせると、酒だけが平板に感じられることがあります。逆に、生酛や山廃、白麹を使った仕込みのように酸のしっかりした酒は、酢飯と同じ方向を向くので、口の中で味がひとつにまとまります。
たとえば生酛造りで知られる新政のような酒は、乳酸由来のやわらかな酸が酢飯の輪郭と重なります。まずは「生酛」「山廃」という文字を目印にするだけでも、選び方は変わってきます。
原則二: 脂の強いタネには、旨口を
中とろやいわしのように脂ののったタネに淡麗な酒を合わせると、酒が流されて、口に脂だけが残ることがあります。ここで働くのが旨口、つまり米のうまみとふくらみのある純米の酒です。脂を洗い流すのではなく、うまみ同士を重ねて受け止める。飛露喜のような、きれいでいて厚みのある酒がこの役どころです。
温度も味方になります。同じ酒でも、ぬる燗にするとうまみがほどけて、煮穴子や漬けのまぐろに寄り添いやすくなります。夏でも燗を置く店は少なくありません。
原則三: 香りの華やかな酒は、主役を選んで
華やかな香りの大吟醸は、それ自体が主役になれる酒です。十四代のような香り高い一本を白身の昆布締めに合わせると、タネの繊細な甘みが香りに覆われてしまうことがあります。香りの立つ酒は、玉子や穴子のツメ、うにのように味の輪郭がはっきりした場面に取っておくと、双方が生きます。
難しく考える必要はありません。繊細なタネには香りを控えめに、味の濃い一貫には華やかに。香りの静かな酒から始めて後半に香りのある酒へ進むと、一晩の流れも自然にできあがります。
七月のカウンターで試すなら
七月は夏の魚が揃う月です。あじやいわしは脂がのり、すずきは昆布締めで涼しげに出てきます。三つの原則を当てはめると、組み合わせは自然に決まります。
| タネ | 酒の方向 | 理由 |
|---|---|---|
| あじ・いわし | 旨口の純米(ぬる燗も) | 青魚の脂とうまみを、厚みのある味で受け止める |
| すずきの昆布締め | 香り控えめで酸のある酒 | 昆布のうまみと繊細な甘みを、香りで覆わない |
| 煮穴子 | 香りの華やかな酒 | ツメの甘みと香りを重ねて、終盤を締めくくる |
奥赤坂の鮨 淡師のように一貫ごとに酒を合わせる提案をしている店では、この原則をそのまま体験できます。津本式を取り入れた熟成の仕事は魚のうまみが深まるぶん、合わせられる酒の幅も広がります。
気負わずに頼むために
銘柄がわからなくても、心配はいりません。カウンターでは「酸のある酒を」「脂の強いタネに合うものを」と、方向だけ伝える方が多いようです。作り手はその一言から選べますし、そこから会話が生まれる分、一杯の意味も深まります。
量は少しずつが向いています。おまかせは十数貫続くので、最初から一合を空けるより、半合ずつ替えていく方が最後の一貫まで楽しめます。普段あまり日本酒を飲まない方は、一杯目を大将に任せてしまうのもよい方法です。慌てて決める必要は、どこにもありません。
よくあるご質問
鮨に合う日本酒は、結局「辛口」を選べばいいのでしょうか?
辛口を選ぶこと自体は間違いではありませんが、甘辛だけで決めると合わない一貫が出てきます。酢飯の酸に寄り添う酸があるか、脂を受け止めるうまみがあるか、香りが強すぎないか。この三点で見る方が、結果として外れが少なくなります。
日本酒に詳しくないのですが、カウンターで何と言って頼めばいいですか?
銘柄名は要りません。「酸のあるものを」「次の脂の強いタネに合うものを」と方向だけ伝えれば十分ですし、一杯目を大将に任せる方も多くいらっしゃいます。気負わなくて大丈夫です。
熟成させた魚には、どんな酒が合いますか?
熟成でうまみが深まった魚には、淡麗な酒より、うまみのある旨口の純米やぬる燗が寄り添いやすくなります。津本式などの熟成を仕事にしている店なら、そのタネに合わせた酒を提案してもらえるので、任せてみるのも一つの方法です。
おまかせの途中で酒を替えてもいいのでしょうか?
ごく普通のことです。白身から光り物、まぐろ、煮物へと味が動くのに合わせて、半合ずつ替えていく方がむしろ流れに沿います。遠慮せず、そのときの一貫に合わせてお願いしてみてください。
ガイドから、カウンターへ
奥赤坂の八席のカウンターで、味わう。
江戸前の仕事に、ていねいな熟成を。一貫ずつ、その日の最良を握ります。海外のお客様には英語でご案内します。
鮨 淡師で予約する The Tokyo Sushi Guide を見る
監修
鮨 淡師 大将江戸前の伝統に学び、九州に根を持つ大将が、東京・奥赤坂の八席のおまかせカウンターに立ちます。The Tokyo Sushi Guide の版元です。
