熟成で魚が旨くなる仕組み|イノシン酸と遊離アミノ酸の科学

The Tokyo Sushi Guide の特集 監修|髙田 達央(奥赤坂 鮨 淡師 店主) 更新 読了 約7分

熟成した魚はおいしい。それは多くの方が感じています。けれど、熟成のあいだに魚の中で実際に何が起きているのかは、意外と知られていません。難しそうに見えて、仕組みそのものは案外すっきりしています。旨味の正体を二つに分けて眺めるだけで、なぜ寝かせると旨くなり、寝かせすぎると味が崩れるのかが、順に腑に落ちていきます。

この記事でわかること

  • 熟成とは、魚の成分と酵素の働きで旨味を引き出す仕事だということ
  • 旨味の柱が二つあること。イノシン酸(核酸系)と遊離アミノ酸(アミノ酸系)
  • ATPからイノシン酸が生まれ、寝かせすぎるとヒポキサンチンへ進んで苦味に向かう仕組み
  • 酵素がタンパク質を分解し、グルタミン酸などの遊離アミノ酸が増える流れ
  • 血抜き・適正な締め・低温での真空保管という三つの大前提の意味
  • 旨味と食感が重なる頃合いを見極めるという考え方
目次

熟成とは、旨味を引き出す仕事

熟成とは、魚が本来持っている成分と酵素の働きを生かし、イノシン酸や遊離アミノ酸(グルタミン酸など)といった旨味を、できるだけ大きく引き出すことを指します。何かを外から加えるのではありません。魚がもともと備えている力を、時間と温度で整えていく仕事です。

ですから熟成は、足し算というより、引き出す作業に近いといえます。素材が良いほど、引き出せる旨味の幅も広がります。

要点: 熟成は味を足すのではなく、魚がもともと持つ旨味を、時間をかけて引き出す仕事です。

熟成の三つの大前提

旨味を引き出す前に、整えておきたい土台があります。ここが崩れると、熟成は「傷み」の側へ近づいてしまいます。江戸前のカウンターでも、津本式の考え方を取り入れる作り手でも、まず押さえるのは次の三つです。

  1. 血を抜く血中のヘモグロビンは酸化して臭みのもとになります。ていねいな血抜きが、透明感のある味を守ります。
  2. やさしく締める魚に余計なストレスを与えない締め方をすると、のちに旨味へ変わるATPが多く残ります。
  3. 低温で真空保管二度前後の低温と、真空に近い状態は、酸化と腐敗を抑え、変化をゆっくり進めます。

一つ目の旨味、イノシン酸

魚が持つATPという物質は、死後、段階を追ってイノシン酸へと変わっていきます。イノシン酸は鰹節のだしでも知られる、核酸系の旨味です。締めや血抜きでATPを多く残せるほど、生まれるイノシン酸も増えていきます。

ただし、ここには折り返しがあります。寝かせすぎるとイノシン酸はさらに分解が進み、イノシンを経てヒポキサンチンへと変わります。ヒポキサンチンが増えると、旨味だったものが苦味やえぐみの側へ傾きます。

肝心なところ: イノシン酸には山があります。頂上を過ぎて寝かせると、旨味はしだいに苦味へ向かいます。

二つ目の旨味、遊離アミノ酸

もう一つの柱が、遊離アミノ酸です。魚が本来持つ分解酵素が、タンパク質を少しずつ分解していきます。タンパク質はペプチドを経て、グルタミン酸などの遊離アミノ酸へとほどけていきます。これがアミノ酸系の旨味で、昆布のだしと同じ系統です。

面白いのは、核酸系のイノシン酸と、アミノ酸系のグルタミン酸が重なると、旨味が互いを引き立て合うことです。二つがそろった状態は、どちらか一方だけのときより、ずっと豊かに感じられます。

こちらにも注意点があります。分解が進みすぎると、身のまとまりや食感が落ちていきます。旨味は増えても、口当たりが崩れてしまうのです。

見極めるのは、二つの重なり

つまり、めざす頂点は一つではありません。イノシン酸が最も多い状態と、ほどよい食感を保ったまま遊離アミノ酸が増えた状態。その二つが重なるところを狙います。だからこそ、熟成はタイミングの仕事だといわれます。

熟成の進み起きていること味わいの傾向
浅いイノシン酸はこれから。遊離アミノ酸も少ないすっきり。旨味はおとなしい
頃合いイノシン酸が高く、遊離アミノ酸も増える旨味が重なり、食感も残る
深すぎイノシン酸はヒポキサンチンへ。身もゆるむ苦味やえぐみが出て、食感が落ちる

最適な期間と温度は、魚種や状態によって変わります。白身と青魚、脂ののり、身の厚み。同じ日数でも同じ結果にはなりません。ですから作り手は、魚ごとに見極めます。

魚で変わる、熟成の向き

同じ熟成でも、向き不向きや頃合いは魚によって変わります。ここが、作り手の腕と好みが出るところです。大まかな傾向として、次のように分けて考えると勘所がつかみやすくなります。

魚のタイプ熟成との相性頃合い
白身(鯛・平目)旨味が乗りやすい数日〜長めも
赤身の大型魚(まぐろ)寝かせ・漬けで奥行き状態で幅
光り物(コハダ・鯵・鰯)締めが中心・早めが向く短め
貝・烏賊食感が身上・熟成は控えめ短め

光り物は、鮮度と締めの見極めが味の要になります。長く寝かせるより、良い状態のうちに握る方が向くことが多いようです。反対に、白身や赤身の大型魚は、ていねいに寝かせることで旨味の奥行きが増しやすい魚です。烏賊のように、少し寝かせて甘みが出るものもあります。とはいえ日数で割り切れるものではなく、その日の身の状態を見て決めるのが基本になります。

見方: 魚を「熟成で伸びるもの」と「鮮度と締めが身上のもの」に分けて眺めると、頃合いの勘所がつかみやすくなります。

カウンターの熟成という考え方

近年は、津本式と呼ばれる血抜きと保存の技術が広まり、熟成の精度を支えています。ていねいに血を抜き、低温で管理することで、魚種ごとに狙った頃合いへ寝かせやすくなりました。

東京・奥赤坂の八席のカウンター、鮨 淡師でも、江戸前の古典的な仕事に、こうしたていねいな熟成を合わせています。魚種ごとに期間と温度を見極めながら、一貫ずつ、その日の頃合いを握ります。

熟成は派手な技ではありません。魚の力を信じて、余計なことをせず、頃合いを待つ。その静かな見極めが、一貫の旨味の奥行きになって表れます。

よくあるご質問

熟成させれば、どんな魚でも旨くなりますか?

一概にはいえません。イノシン酸には頂点があり、過ぎると苦味へ向かいます。魚種や状態によって頃合いも変わるため、寝かせるほど良いというわけではありません。

熟成と、傷みかけは何が違うのですか?

大きく違います。熟成は、血抜きと低温、真空に近い保管で、酸化と腐敗を抑えた管理のもとで進める変化です。土台の管理がないまま置いたものは、熟成ではなく傷みに近づきます。

どのくらい寝かせるのが良いのですか?

魚種や脂ののり、身の厚みで変わります。白身は比較的長め、青魚は短めの傾向があるといわれますが、日数だけで決められるものではありません。作り手が状態を見て判断します。

家庭でも熟成はできますか?

できないとはいいませんが、温度管理と衛生の見極めが難しい部分です。低温を保つこと、清潔に扱うこと、頃合いを見誤らないこと。この三つがそろわないと、旨味より傷みが先に立ちます。

ガイドから、カウンターへ

奥赤坂の八席のカウンターで、味わう。

江戸前の仕事に、ていねいな熟成を。一貫ずつ、その日の最良を握ります。海外のお客様には英語でご案内します。

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カウンターに立つ奥赤坂 鮨 淡師 店主 髙田 達央

監修

江戸前の伝統に学び、九州に根を持つ髙田 達央が、東京・奥赤坂の八席のおまかせカウンターに立ちます。The Tokyo Sushi Guide の監修者です。

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